つばき
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3月12日の日曜日に第13回京都シティーハーフマラソンに出ました。実は、先月風邪をひいて以来、まったく走ってなくてあまり自信がありませんでした。しかしハーフマラソン初挑戦の機会を逸したくなかったので、無理を押すことにしました。これを逃すと、来シーズンまで待たなければならないのです。
当日、小雨が降っているにもかかわらず、七千人の参加者がいたそうです。平安神宮の前からスタートしたのですが、人が多くて前に進めず、始めの五分ほどは歩いていました。七千人の最後尾なんて初めての経験でした。コースの途中では道幅が狭いところがあり、周りの人にひじが当たりそうになるほど混み合っていて走りにくかった。しかしランナーの方たちはとてもマナーがいいので、ラッシュ時の駅のホームのようにはならないですね。
コースは、スタート後に西に向かい、鴨川を越え、烏丸御池で右折して烏丸通を北上、京都御苑の前を通って加茂川に出て川岸を北上し、植物園の前で右折して北山通を東に走り、国立京都国際会館まで行って折り返し、白川通をまっすぐ南下して平安神宮そばのゴールまで戻ってくるというものです。
あまり体調がよくなかったので、普通に走れるのは10km程度、少し無理をして15km、後は気力で何とかしようと思っていましたが、ほぼ予想どおりでした。15km付近で足の筋肉がひどく張ってしまい、急にペースが落ちてしまいました。
その後「収容関門」なるものに引っかかり、あっさりレース終了。関門はコースの五ヶ所にあり、これらを所定時間内に通過しないと失格になります。私は17.3kmの地点にある最後の関門で、99分の時間制限にほんの数秒遅れてしまい、目の前で通行止めのためのロープが張られてしまいました。ここさえ通り抜ければ後はどんなにゆっくり走ってもゴールできたのですが・・・。残念。
少し不愉快でしたが、怒っても仕方ありません。係りの人の誘導にしたがって、関門で止められたほかの人たちといっしょに大会が用意したゴール地点行きのバスに乗りこみました。座席でスポーツ飲料を飲んで落ち着くと、関門のおかげで無理をしなくて済んだという気がしてきました。怪我でもしたらつまらないですからね。意識が朦朧とするほど走ったのだから十分です。
それにしても苦しかったです。普段の生活なんてずいぶん楽なものだと思いました。それから、目標にしていたハーフマラソンに挑戦できて気持ちがさっぱりしました。くたくたに疲れましたが、一晩寝たら以前より体調が良くなっているように感じました。筋肉痛がひどいのですが・・・。
大会中に周りを見て感心したのですが、男女年齢を問わず、21kmを走りきることができるのですね。15km付近で私を追い抜いていった人のほとんどは、全然スポーツマンには見えない一見普通の人たちで、人の体力は見かけによらないことを知りました。
初めてのハーフマラソンで完走ならず。しかし勉強になりました。やはり日ごろの運動が大切で、勢いだけではだめですね。無理に21kmを完走して満足してしまうよりよかったと思っています。体力をつけてまた挑戦します。
それではまた。
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先日、近所のスーパーでたけのこを見つけた。20cm足らずの小さなものだが、時期が早いせいか少し割高だった。しかしどうしても試してみたい料理があったので買った。
産地は分からない。美食家の魯山人によると筍は産地によって味が異なり、京都では「洛西の樫原が古来第一」なのだそうだ。(魯山人味道)
私は土地の作物で十分だが、できるだけ新鮮なものがほしい。
ちなみに、取れたての竹の子はあく抜きをする必要がないらしい。しかし鮮度が落ちるにつれてえぐみが強くなり、香りが抜け、固くなってしまう。魯山人いわく「ゆがいた筍を永く水に浸しておくのは、味を知らない人のすること、掘って間のない本場ものなら、京都人は、ゆでないでそのまますぐに煮て、少しも逃げない味を賞味している」とのことである。
今回試す料理は、司馬遼太郎がまだ新聞記者だったころに書いたエッセイに出てくる「山賊料理」である。(司馬遼太郎が考えたことⅠ)
司馬遼太郎は多作だったけれども食べ物のことをあまり書いていない。「街道をゆく」の取材ではドライブインで食事を済ませてしまっていたりする。私が思い出せる、これがうまかったという文章は、ギネスのビールぐらいである。「アイルランド特産ともいうべきギネスのビールはうまい。とくにミルク・コーヒー色の泡がやわらかくて、アイルランドの心にふれたような気がする。」(愛蘭土紀行Ⅰ)
食い物に関しては、司馬が伊吹山中の教王律院という寺に泊まったとき、住持の伊吹良謙という人が朝めしに出した「山賊料理」は数少ない例外と思われる。調理方法はいたって簡単で、たけのこをまるまま焚き火の中に放り込んで焼くだけである。「焼けこげた皮を何枚もむいて、中から湯気のたつみをとりだし、良謙のもってきたしょう油をつけて食べると、ホオのおちるほどうまかった。」と書かれている。試さずにはいられない。
日曜日の朝、書斎の窓からベランダに出て、物置から七輪を出した。賃貸マンションで焚き火をするわけにはいかないので、炭で焼くことにしたのである。まず七輪に炭をいれて火をおこした。次に、じかに炭が当たって焼きむらができないように、小石で囲むようにして竹の子を七輪の中に入れた。
野菜は食べごろになると匂いが出るので、このときすばやく加熱を中止しなければいけない。タイミングを逃さないように七輪の前に陣取り、炭をうちわで扇ぎながら待つこと約20分。竹の子の若々しいツンとした香りがほのかに漂ってきた。皮の上からつまようじで突き刺すとずぶずぶと中に入っていく。火が通って柔らかくなっているようだ。ようじを引き抜くと穴から水分が間歇的に噴出してきた。食べごろにちがない。
手袋をして黒く焼けた竹の子を取り出した。(右の写真参照)皮をむくと強い香りとともにツヤのある白い実が出てきた。司馬遼太郎は焼き芋のように丸かじりしたに違いない。しかしここで食ってしまえば、妻の分がなくなってしまう。かじりつきたいのをぐっと我慢をして、すばやくキッチンに移動し、ブツをまな板にのせ、食べやすいように包丁で切った。さあ食うぞと思ったが、妻はまだ寝ていた。
仕方がないので、まだ熱いうちに少しだけ味見をすることにした。一切れ箸でつまみ、しょう油をつけて口に入れた。なるほど、うまい。実が柔らかく、風味がすばらしい。満足である。しかしあえて難を言えば、若干であるが口の中がヒリヒリするのが気になった。収穫から時間がたってえぐみが増してしまったのだろう。
新鮮な竹の子があればという条件つきではあるが、シンプルでおいしいお勧め料理である。
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