タケノコの丸焼き
先日、近所のスーパーでたけのこを見つけた。20cm足らずの小さなものだが、時期が早いせいか少し割高だった。しかしどうしても試してみたい料理があったので買った。
産地は分からない。美食家の魯山人によると筍は産地によって味が異なり、京都では「洛西の樫原が古来第一」なのだそうだ。(魯山人味道)
私は土地の作物で十分だが、できるだけ新鮮なものがほしい。
ちなみに、取れたての竹の子はあく抜きをする必要がないらしい。しかし鮮度が落ちるにつれてえぐみが強くなり、香りが抜け、固くなってしまう。魯山人いわく「ゆがいた筍を永く水に浸しておくのは、味を知らない人のすること、掘って間のない本場ものなら、京都人は、ゆでないでそのまますぐに煮て、少しも逃げない味を賞味している」とのことである。
今回試す料理は、司馬遼太郎がまだ新聞記者だったころに書いたエッセイに出てくる「山賊料理」である。(司馬遼太郎が考えたことⅠ)
司馬遼太郎は多作だったけれども食べ物のことをあまり書いていない。「街道をゆく」の取材ではドライブインで食事を済ませてしまっていたりする。私が思い出せる、これがうまかったという文章は、ギネスのビールぐらいである。「アイルランド特産ともいうべきギネスのビールはうまい。とくにミルク・コーヒー色の泡がやわらかくて、アイルランドの心にふれたような気がする。」(愛蘭土紀行Ⅰ)
食い物に関しては、司馬が伊吹山中の教王律院という寺に泊まったとき、住持の伊吹良謙という人が朝めしに出した「山賊料理」は数少ない例外と思われる。調理方法はいたって簡単で、たけのこをまるまま焚き火の中に放り込んで焼くだけである。「焼けこげた皮を何枚もむいて、中から湯気のたつみをとりだし、良謙のもってきたしょう油をつけて食べると、ホオのおちるほどうまかった。」と書かれている。試さずにはいられない。
日曜日の朝、書斎の窓からベランダに出て、物置から七輪を出した。賃貸マンションで焚き火をするわけにはいかないので、炭で焼くことにしたのである。まず七輪に炭をいれて火をおこした。次に、じかに炭が当たって焼きむらができないように、小石で囲むようにして竹の子を七輪の中に入れた。
野菜は食べごろになると匂いが出るので、このときすばやく加熱を中止しなければいけない。タイミングを逃さないように七輪の前に陣取り、炭をうちわで扇ぎながら待つこと約20分。竹の子の若々しいツンとした香りがほのかに漂ってきた。皮の上からつまようじで突き刺すとずぶずぶと中に入っていく。火が通って柔らかくなっているようだ。ようじを引き抜くと穴から水分が間歇的に噴出してきた。食べごろにちがない。
手袋をして黒く焼けた竹の子を取り出した。(右の写真参照)皮をむくと強い香りとともにツヤのある白い実が出てきた。司馬遼太郎は焼き芋のように丸かじりしたに違いない。しかしここで食ってしまえば、妻の分がなくなってしまう。かじりつきたいのをぐっと我慢をして、すばやくキッチンに移動し、ブツをまな板にのせ、食べやすいように包丁で切った。さあ食うぞと思ったが、妻はまだ寝ていた。
仕方がないので、まだ熱いうちに少しだけ味見をすることにした。一切れ箸でつまみ、しょう油をつけて口に入れた。なるほど、うまい。実が柔らかく、風味がすばらしい。満足である。しかしあえて難を言えば、若干であるが口の中がヒリヒリするのが気になった。収穫から時間がたってえぐみが増してしまったのだろう。
新鮮な竹の子があればという条件つきではあるが、シンプルでおいしいお勧め料理である。
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