2014年11月 5日 (水)

妻が教材を出版した

妻の香保里が英語の教材を出版した。もっとも、共著で自費出版ではあるが。(ちなみに小林は旧姓。)

この本は自分の授業で使うためのものらしい。(内容の説明は下のリンク先に書いてあります。)原稿をチェックするために、私は学生の役をさせられた。よいかどうかは、相性があると思う。

夏休みに準備で大騒ぎをしていたが、飼い犬「燦」の写真を表紙や挿絵にして楽しんでいたようである。

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2011年5月23日 (月)

購読新聞の変更

4月から妻の仕事が変わって収入が減った。それで支出を抑えるため、(妻の強い要望で)より購読料が安い新聞に変更することに。気に入っている購読新聞を変更するのはまったく気が進まないが仕方ない。そもそも妻は近所のスーパーの広告が入れば新聞なんて何でもいい人なのである。説得は無理(でも、ちょっと粘りました)。好きな新聞を読みたければ、早く定職に就いて、人並みに稼げばいいだけのことである(それが難しいんだけどね)。

日本経済新聞とジャパンタイムズの二誌で、購読料がそれぞれ4,000円と4,480円。合計8,480円。これが贅沢であると言う。それで新聞広告が入る一般紙とより安価な英字新聞という組み合わせで、京都新聞とデイリー・ヨミウリ(The Daily Yomiuri)を選択した。それぞれ3,240円と2,965円。合計6,205円となり毎月2,275円の節約。5月の初めに切り換えた。

この十年ぐらい日経新聞を読んでいた。投資をしているわけではなくて、ただ面白いから。分量があって、海外情勢の記事が多い。何か事件が起こって株価や為替が変動する。何にでもお金が関わっていて、見ていて飽きない。だけど、そろそろ他の新聞を読んでもいいのではないかと思う。京都新聞は県議会の解説とか京滋地震情報といった地元に密着した記事が多い。妻は四コマ漫画があってうれしいという。

デイリー・ヨミウリはいちばん購読料が安い英字新聞である。読売新聞を英語に翻訳した記事や共同ニュースの記事が多い。英語学習者むけのページがあってよい。内容に不足はないのだが、英字新聞を読むという緊張感が少し薄れてしまう。ともあれ、毎朝新聞を読めるだけありがたいと思う。

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2009年8月24日 (月)

水木しげる著「がんばるなかれ」

近所で「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪道五十三次の世界」という展示があったので週末に見に行った。歌川広重の「東海道五十三次」のパロティーで、水木しげるのユーモラスな妖怪たちが版画の景色に紛れ込んでいた。違和感がなくて面白い。

妻は展示が気に入ったらしく上機嫌。帰り際にみやげ物売り場で「何か1つだけ買ってあげる」という。しまり屋の妻にしては珍しい。

物色するが、あか抜けたかわいらしいキャラクターグッズに購買欲がそそられず。なんとなく手に取ったのが、水木しげるの名言集「がんばるなかれ」。鬼太郎と目玉おやじの小さなイラストに惹かれてこれに決めた。

1ページに1つの名言が書かれている。普段このようなつくりの本を見ると、紙の無駄ではないかと思う。だが読み始めてみるとこれが面白い。

人生なんて人のまねをしても意味がないし、成功哲学なんて真に受けるのはバカバカしい、と日頃から思っている。だから、偉人の名言集の類もあまり読まない。しかし「少年よ、がんばるなかれ」、といった少し不真面目に聞こえる言葉が、つぼにはまった。

ちなみに水木しげるはマイペースな性格で、人生が軌道に乗るまでに時間がかかった。戦争で左腕を失い、戦後は貧乏に負けず絵を描き続けて妖怪漫画家として大成した。

以下、気に入った部分の抜書き。

「困難に直面しそれを撃破するのは体力である」

「自分の中に本当に好きなものを発見し、
それを自分なりに工夫して伸ばせば、
いろいろなおもしろいものが
たくさん発見できると思う」

「我々は、
我々のつくった文明というやつを過大評価しすぎて、
本来の生物としても定められた生き方を
忘れてしまっているのかもしれない」

そうかもしれないなあ、と思ってしまう。

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2008年1月10日 (木)

「オバケの英語」で発音の勉強

英語教師の妻は「テレビ部屋」と呼んでいる居間に書類を積み上げている。(妻がだらしがないのではなく、広い家を買えない甲斐性なしの夫、私が悪いのであります。)でたらめではなく、参考文献、英字新聞、生徒の宿題などに分類して畳の上に並べているようだ。私がコタツでごろごろしていた時、たまたま山の一つに埋もれていた赤いカバーの本が目に入り手に取った。読み始めると意外に面白い。それが今回紹介する明川哲也、クレイグ・ステファン著「オバケの英語」という本だった。新品で読んだ形跡が無かった。どうせ無くなったことに気がつかないだろうと思い、しばらく持ち歩いて読了した。

この本には、ニューヨークに半年も住みながら英語がまるでしゃべれない主人公(身につまされます)が黒人の幽霊に英語を習うという物語に、英会話の上達法と英文のショートストーリー(朗読CD付)が挿入されている。

英文のショートストーリーを含め物語には好みが分かれそうだ。私はブルックリンに住んでいたことがあるので背景や主人公の気持ちがある程度理解できる。しかし主人公の人付き合いや幽霊の身の上話のような詳細を、誰もが楽しめるとは限らないだろう。私は作り物くさく感じた。

「キミの国が馬鹿にされるのはねえ、語るべきことを語る人がいないからなんだよ。英語はイギリスやアメリカだけの言葉じゃない。もはや賛否を問うまでもなく、現実として世界の共通語になっているんだ。国際会議で通訳をつけているのは日本の政治家だけだ。通訳がいなくなった瞬間、彼らはパーティー会場の片隅でハツカネズミのように丸くなって震えている。世界の笑いものさ」

とか

「まずは自らが正しい発音を心掛けること。それがもっとも大切なんだ。心配することはない。日本の受験英語にありがちな、単音だけ聞かせてどちらが正しいでしょうなんてクイズは実際の生活ではほとんどありえないことなんだ。リスニングのクイズで正答率が悪いからって、落ち込む必要はいっさいない。正しく話す者だけが正しく聞けるようになるのさ」

といったセリフはそれなりに面白い。しかし繰り返し勉強することを考えると発音の解説を物語から分けてある方が便利だ。この本の特徴は、発音記号の説明がわかりやすいこと、この一言に尽きる。例えば、発音記号のsと∫は、

舌先を上の歯の裏側に近付ける。そうしながら上下の歯で挟み込んだゴマを吹き飛ばす。これが無声子音sの音。

sh(ti)の発音∫は、舌先を下の歯の裏側に付け、歯と歯の間に挟まったゴマを吹き飛ばす。気流が命ってやつだ。

というユニークな方法で説明されている(口と咽喉の断面イラストつき)。私はこれを読んで初めてseeとsheの言い分けを意識してできるようになった。これまで教科書や辞書にある発音記号と口の断面図の説明を見ても、岡の上の水練のようで、身に付くように思えなかった。しかしこの本にある母音、子音のどの発音記号についても、口の開け方や空気の流れなどの表現が具体的でわかりやすく、自分にも習得できそうである。

私を含め多くの日本人は英語の発音が下手くそであり、学習に四苦八苦している。だからこのように発音をわかりやすく解説した実用的な本がもっと普及してほしいと思う。というわけでわがブログにてお勧めすることにした次第である。

それから個人の英語教材として使う場合には、映画台本のダウンロードやコピーが連邦法で許可されているとのこと。下にリンクしたホームページからダウンロードが可能である。ご活用されたし。

SimplyScripts (右サイドバーの"ScriptSearch"に映画のタイトルを入れて検索)
The Internet Movie Script Database (IMSDb)  (左サイドバーの"Search IMSDb"で検索)

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2007年8月22日 (水)

「金哲彦のランニングメソッド」

お盆休みが終わって、またジョギング通勤を再開。最近は運動をしないと体が気持ち悪いので、暑くても走っている。

4年半前に滋賀に引っ越してきたときは、約7キロの道を自転車で通うのがやっとの体力だったが、1年半ほど前から(このブログを始めた頃です)週に一回程度のペースでジョギングを始め、現在ではほぼ毎日気持ちよく走れるようになった。体が丈夫になっていくことが実感できて楽しい。

通勤時間を使うと規則的に運動できるし、わざわざ運動のために時間を作らなくてもいい、というのが継続できたポイントだと思う。

最近は「金哲彦のランニングメソッド 羽が生えたように動きが軽くなる」という本を参考にしている。この本は以前に紹介した「3時間台で完走するマラソン まずはウォーキングから」と同じ著者によるもの。内容が重複しているのだが、「ランニングメソッド」のほうが写真が多くて分かりやすいのでお勧めである。

「本書では、ランニングが持つ本来の楽しさを堪能するために、カラダが軽く感じられて、しかもなかなか疲れない走り方を紹介します。」と始めに書かれている。

内容を大雑把に要約すると、丹田・肩甲骨・骨盤という3つの部位を意識すればきれいなフォームで走れるようになるという。だが説明を読むことと実際にやってみることは別である。丹田に力を入れつつ、骨盤を前傾させ、肩甲骨を後ろに引いて走るというのは容易ではない。つい注意散漫になって姿勢が悪くなってしまう。道は長そうである。

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2006年5月12日 (金)

「国家の品格」の感想

しばらく前から評判になっている藤原正彦著「国家の品格」を読んだのだが、とても面白かったので感想を書くことにした。

まず、武士道の復興だとか祖国愛の奨励など感情的になりがちな内容が平易な言葉で書かれていて好感が持てた。いかにも道理にかなった論旨が多かったが、驚天動地といったものではない。「すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論」という帯の言葉は少し大げさだと思う。

たしかに、この本で述べられている御説はもっともであるが、どうすればよいのか、という解決策に具体性が足りないように思えた。例えば、数学者である著者は以下のように言う。(以下、引用部を斜体で示す)

ロックの言う自由や平等は、王権神授説を否定するピューリタンの考えに過ぎず、私から見ればほとんどが独断です。理論的根拠と言えるものがありません。だからこそジェファーソンは神を持ち出したのでしょう。

自由と平等は偽善とまで言わなくとも、絵に描いた餅にすぎない場合がたしかにある。しかしそれを言ってしまっては身もふたもない。とはいえ、私は法の下で平等でありたい。言論の自由はあってしかるべきである。

主権在民には大前提があります。それは「国民が成熟した判断をすることができる」ということです。この場合には、民主主義は文句なしに最高の政治形態です。しかし、国民というのは一体、成熟した判断ができるものなのでしょうか。(中略)民主主義がヒトラーを生んだ

しかし民主主義よりましなシステムがない。選挙は衆愚を反映しがちかもしれないが、みんなで決めたという意味で責任を共有できる。民主主義が悪いのではなくて、教育が十分ではないという問題ではないだろうか。

著者はこれらの概念を排除して、その代わりに伝統を重んじ、エリートを養成するという。私にはあまりいい予感がしない。自分の良識に従って一票を投じる、という権利を奪われてまで選ぶべき政治形態を思いつかない。著者はもう少し詳しく説明すべきである。

戦後我が国を統治したGHQすなわちアメリカの最大課題は、「日本を再び立ち上がってアメリカに刃向かわないような国にする」ということでした。下手にエリートをつくると、底力のあるこの民族は再び強力な国家を作ってしまう。そこで、まずエリートを潰さねばというわけで、真っ先に旧制中学、旧制高校を潰してしまった。

旧制中学および高校を潰したのは慧眼といおうか、彼らの思惑通り、六十年後の現在、真のエリートが日本からいなくなり、国家は弱体化してしまいました。

日本の現状をアメリカの悪影響のせいにするのは容易である。しかし、戦後すでに六十年が経過しており、その間に本当に望んだなら変われたはずである。しかし(この本の著者も含めて)日本人はそうはしなかった。そして戦後の復興と繁栄を謳歌した。明らかに日本人の問題だと私は思う。

戦後は崖から転げ落ちるように、武士道精神はなくなってしまいました。しかし、まだ多少は息づいています。いまのうちに武士道精神を、日本人の形として取り戻さねばなりません。

私は新井白石の「男は、ただ忍耐ということだけを修練すべきである」(折りたく柴の記)といった言葉が好きだ。しかし、癒しやカウンセリングがはやる昨今の世の中で、死への覚悟とやせ我慢を強いる武士道が簡単に復活するとは思えない。現代には武士道にかなったロールモデルが容易には見つからないからだ。現代のアメリカ社会で西部劇の主人公を探すようなものだろう。「真のエリートを求める」という藤原氏は、いったいどのような人物を理想に描いているのだろうか。彼はエリートに必要な条件を二つ上げていて、一つが教養で、二つ目が「「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることです。」と述べている。だが、具体的な人物像には触れていない。一方で、イギリスのエリートについて以下のように書いている。

「夏目漱石の「心」の中の先生の自殺と、三島由紀夫の自殺とは何の関係があるのか」(中略)世界のトップエリートというのは、そういうことをいきなり訊いてくるのです。(中略)ロンドン駐在の商社マンが、あるお得意さんの家に夕食に呼ばれた。そこでいきなり、こう訊かれたそうです。「縄文式土器と弥生式土器はどう違うんだ」唖然としていると「元寇というのは二度あった。最初のと後のとでは、何がどう違ったんだ?」そう訊かれたそうです。その人が言うには、イギリス人には人を試すという陰険なところがあって、こういう質問に答えられないと、もう次から呼んでくれないそうでです。

私が嫌いな人物像の一例を見せられたような気がする。少なくとも武士道とは相容れない行為ではないか。西郷隆盛や土方歳三ならば、このような態度を取る相手を激しく軽蔑しただろう。エリートの教養の中身がこんなものだとしたらがっかりである。教育システムの多様さは今後必要だと考えるが、こんな鼻持ちならない連中を国家が養成する必要があるのかどうか。西郷や坂本竜馬ら幕末のリーダーは、たいした教養はなかったが、大局観や総合判断力を持っていた。私が望む武士像は漠然としているが、あえて条件を挙げるとすれば、高い志、公への献身、心身の強さ、進退のあざやかさを備えた人物である。

ひとこと言わせてもらえば、教養など実際の人生で発生する問題の解決に役にたってナンボのものではなかろうか。どのような感受性を持ち、どのような経験を積み、どのような問題意識を持つかによって、人それぞれ必要なものが違ってくる。世界最古の長編小説「源氏物語」よりもハリウッド映画「グラディエーター」のほうがためになる人がいたっておかしくない。要は読書により人間として成長すればよく、イギリス人へのウケなどどうでもよいのではないか。

以下は社会システムについて。

世界中の人々が賛成しようと、私は徹底した実力主義には反対です。終身雇用や年功序列を基本とした社会システムを支持します。

この議論は程度の問題ではなかろうか。私はある程度の社会の流動性は必要だと思う。狭い組織の中で延々と権力抗争に明け暮れたり、口を開けば上司の悪口を言いつつもリスクが大きくて転職もままならない、という閉鎖的な社会がよいとは思えない。仕事が合わなければ他へ移れるというほうがよいに決まっている。

その他の細かい点について言えば、著者の言う「外国語よりも読書を」という主張には語弊がある。曲解をおそれずに言えば、文芸誌ばかり読んで英語の勉強をなおざりにすることは怠慢である。もちろん小学校で英語を教える必要はない。しかし、「TOEFLのテストで日本がアジアでビリ、というのは先人の努力に感謝すべき、誇るべきことなのです。」というのは言いすぎである。著者はお茶の水女子大学の教員だそうだが、教育者としての自覚が足りないのではないだろうか。国際会議の会場で英語下手の日本人が群れをなしていたり、日本人にしか分からない変な発音の英語で発表したあげく質疑応答では質問の意味すら聞き取れない、というような醜態は見るに耐えない。「英語より中身を」というのは程度の問題である。私は英語教育の質の向上を望む。

ここまで反論ばかりしているように見えるが、自然への感受性やもののあわれの大切さなど共感した部分は多い。日本が品格のある国になってほしいという思いは著者と同じである。そして将来日本が真に侍の国と呼ばれる日が来ることを切に願う。

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2005年12月10日 (土)

書斎の片付けと「折りたく柴の記」

私は本の再読が好きです。あらすじに気を取られず、好きなところをじっくりと楽しむことができるからです。そのため、「ほとんど読まない本を置いておくのはスペースの無駄よ!」という妻の不平も省みず、せっせと本をため込んでいました。四畳半より少し広い程度の部屋に、本棚4つとテーブルと椅子が置いてあるため、かなり狭苦しいです。「地震がおきたら本棚の下敷きになるわよ!」と言われてます。好きな本に埋もれて死ぬのなら本望ですね。

しばらく前に、新井白石の「折りたく柴の記」をどうしても読みたくなって本棚を探したのですが、見つかりませんでした。あるはずだと思い込んでいたのですが・・・。おそらく引越しのときになくしてしまったのでしょう。きちんと整理をしていなかったことが原因です。この機会に、飽和状態にある書斎の片付けをしようと決めました。大掃除にはまだ少し早いのですが、夜中に少しずつ、ほこりをかぶった本を並べなおしたり、いらないものを処分したりしています。

ところで幸いなことに、桑原武夫による現代語訳の「折りたく柴の記」は最近新書版で再出版されていて、アマゾンで買うことができました。(参考のため左サイドバーにリンクを付けておきます。)前回少し紹介したのは、ちょうど本が手元にあったせいもあります。

新井白石は江戸中期の儒学者です。貧しい家に生まれて青年時代を独学ですごし、30歳のとき木下順庵に出会って入門、37歳のとき順庵の推薦で甲府藩主の徳川綱豊の侍講(講師)という安定した職に初めて就くことができました。その後、綱豊が六代将軍徳川家宣となったため、白石は政治顧問として活躍しました。しかし吉宗の代で政治上の地位を失い、晩年は不遇な中で著作に励んだそうです。

「折りたく柴の記」は白石の自叙伝で、上、中、下の三部からなります。上には白石の幼年から綱豊の侍講の職につくまでのことが書かれていて、読み物としては一番面白いところです。細かいことは抜きにして雰囲気を感じてもらうために、加藤家の猿引という宝刀が青磁の鉢を切ったという噂についての白石の質問に父が答える、というくだりを以下に抜き出しました。

「現場に居合わせた人がないから、そういう話になったのだ。すべて人の言うことは、そのまま信用してはならない。鉢もろともに斬ったというその刀は、お前の幼いときにやったあの刀だ。そのとき、加藤の住んでいた長屋はわしの隣だったが、加藤は二階に上がっていた。主従の口論する声が高く、ただごとではないと思っていると、加藤が階段を駆けおりる声が聞こえたから、すわ大変と思い、刀をとって駆けていくと、加藤は一太刀斬りつけたものの、細腕で斬れなかったのか、若党が包丁をとって立ち向かおうとするのを、わしが刀を抜きざまに斬ったところ、肩から斜めに、前にあった鉢もろとも斬り捨てた。即刻、『とどめを刺しなさい』と言って、自分の刀の血をおしぬぐい、鞘におさめて駆けて帰った。あとで人びとが集まってきたが、とうとう猿引の刀の名誉ということになってしまったのだ。私の刀は、もとは上野の国の後藤というものの刀であったが、その兄がこの刀で払うように斬ったところ、敵の頭を横に二つにした。その頭蓋骨を幼いときおもちゃにしたと言うのを聞いて、譲ってくれと長年たのんだあげく、やっと手に入れたものだ。必ず身から離さずに、子孫に伝えよ」と言われた。

簡潔な描写が特徴で、儒教的というよりハードボイルドな印象を受けます。生活習慣や政治システムなどの時代的な背景がわかりにくい部分が多少あるのですが、歴史物や自叙伝が好きな方にはおすすめです。

ではまた。

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