2010年4月22日 (木)

少し言い訳

ホームページを書き直していて気がついたこと。私は常勤の仕事に就いている期間が短い。27歳で博士の学位をとるまでは学生だった。アメリカでポスドクになって初めて月給をもらった。職場を移りながら帰国するまで3年半働いた。その後、立命館大学に来て常勤の教員として5年弱在籍した。定職があった期間は通算で8年程度。これ以外の期間は、非常勤講師と研究員のアルバイトが収入源だった。去年の220万円弱という年収は、実はけっこう善戦した部類に入る。まったく不本意で情けないと言うほかない。だがお金に縁がなくても幸運に恵まれて何とか生きているし、もらいすぎよりはずっといいと思う。

失業しているせいで、仕事とは何かと考えてしまう。人間だれでもやるべきことや、やらなければならないことを多く抱えている。だから働く。だがこれは生きている環境への受身な対応に過ぎない。私が重要だと考えるのは、本人にとって本質的で価値のある活動を自分の意思で行うことである。それがお金になるかならないかは問題ではない。これが言い訳。

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2010年3月31日 (水)

年度の終わり

今日で2009年度が終わり。契約が切れてチェアプロフェッサーの身分は今日まで。SRセンターには一年半在籍して、多くの方々にお世話になった。大変感謝している。明日からは非常勤講師だけがお仕事。ひとりで過ごす時間が長くなりそう。しばらく弁当を作らなくてすむのでちょっと気が楽。

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2008年10月 9日 (木)

チェアプロフェッサーという身分になりました

しばらくご無沙汰してしまいました。夏場は家出しそうになったりしましたが、だんだん過ごしやすい気候になってきたせいか、公私共に調子が上がっています。大学では先月から新学期が始まり、拙宅に慌しい日常が戻ってきました。

今月(10月)初めから「チェアプロフェッサー」という身分で立命館大学のSRセンターというところに所属しています。放射線が発生する実験施設なので、健康診断と講習が終わるまで実験することができませんが、机とパソコンを用意してもらったので毎日通っています。そのうえ、歓迎会を開いてもらったりして、とても居心地がいいです。

研究の現場にいるだけでも、仕事場があるのはいいことだなあ、としみじみ感じます。SRセンターでは特に義務がなく、自分の好きな研究をしています。月給は5万円で、非常勤講師料と合せると10万円を少し超える程度の月収になります。とてもありがたいです。

「チェアプロフェッサー」とは何か?と問われても困ります。私にもよく分からないので、上に書いたような身分がそうだと答えるしかありません。対外的には「客員教授」を名乗ることができるそうです。

先日妻に「仕事場と仲間ができて、まるで職に就いたみたいだよ」と言ったら「それは気のせいよ、気のせい」ときっぱり否定されてしまいました。ちゃんと就職活動をしています。ご安心を。

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2008年4月19日 (土)

ついに40歳

Nm_2295b 先日、誕生日を迎えた。誕生日を喜ぶような年ではないのだが、40代の大台に乗ったということで、例年よりもしみじみとしたものを感じる。

現状はめでたさから程遠い。何しろ失業している。

今週から滋賀県立大学で非常勤講師を始めた。前期のみであるが、週一回でも仕事があるのはありがたい。しかしこれだけでは、以前このブログで計算した支出を賄うだけの収入にはならない。そこで、社会保障費の免除を受けるため、妻の扶養家族(正確には控除対象配偶者)になることを検討している。

良いことといえば、しばらくは、これ以上悪くなりそうもないことだろう。

 

区切りの年で思い出すのは、30歳の誕生日である。あの頃は今よりもひどい状況だった。アメリカに渡ってポスドクを始めたが、早々にクビになり、次の仕事を探していたのである。今でもインディアナポリスという中西部の殺風景な町の景色を思い出すのがあまり好きではない。生活に慣れず、英語を話せず、打ち解けた知り合いもいなかった。その上資金が底をつき、独りで途方に暮れた。

その後に移った、マサチューセッツ大学での仕事は楽しかった。ノーサンプトンという田舎町のアパートに住み、林の中を自転車をこいでアムハストのキャンパスに通った。友達ができ、今の妻と知り合った。最良の思い出である。

30代前半の経験で、私は少しぐらいのことで驚かなくなったし、無理をしてでも環境を変えたほうが良い場合があることを学んだ。

そして気がついたら40代で、再び困難に直面している。しかし日々能天気に過ごして、いたずらに神経をすり減らすことがないのは年の功であろう。

これからも落ち着かない日々が続くと思う。せめて生活の変化やトラブルをブログのネタにして楽しみたい。このブログは、アクセス数を増やすよりも、より長く続けることが目標にしている。20年後、30年後もこうして記事を書いていられたら幸せである。とはいえ、同じことばかりでは飽きてしまうだろうから、今年は個人的なことばかりではなく、世間の人に読んでもらえるような記事を書いてみたい。

 

最近思うのは、自立した研究者であるためには、研究費を得るところから始めなければいけない、ということ。独自の研究テーマを設定し、研究計画を立て、予算を獲得して、初めてオリジナリティーのある研究ができる。ポスドクのように雇われた身分ではテーマ選びが限定されてしまうのはある程度仕方がない。しかし現在せっかく失業していることだし、思い切って新しい研究テーマを始めて、科研費あたりに応募するのが今年の目標としては適当だろう。

それから仕事を探すこと。ここでいう仕事というのは、独立した研究者として働くことができる大学や研究機関の研究職のことである。しかし思い出してみると、学位を取る少し前から、つまりここ14年ぐらい、ずーっと求職している。私の目標は、自分の研究室をもつことなので、今後もあきらめずに探し続けるつもり。

私はどちらかというと楽観的な人だけれど、すぐに仕事が見つからない可能性もある程度は考えている。だから経済的な安全保障として、日銭を得られるサイドビジネスだとか、収入につながるような資格を取ったりということを検討中。金儲けなど気が乗らないが、研究につながるようなものであれば結構だと思う。この年で夢を語ることを許されるならば、自分の研究を基に起業して経済的にも自立したい。

 

ところで最近、市街地で自転車に乗っていたら二人組みの警察官に呼び止められた。うっかり無灯火だったせいだ。自転車についている防犯登録番号を問い合わせるために、しばらく引き止められてしまった。一人の警官がトランシーバーで番号を照会する間に、もう一人が私の話相手に。職務質問というほどのことはなくて、ただの雑談だった。今の時期は酔っ払いのトラブルが多いのでパトロールを強化しているとの事だった。新人の歓迎会などで若い社会人が酒を飲みすぎるそうだ。どうも話が変だな、と思って、私が大学の教員だと言うと、案の定驚いている。すかさず年を聞かれて「40歳」と答えるとまたびっくり。やはりと思ったが、20代と見られたようだ。警官に若く見られてもうれしくないけど、面白い。目撃情報で手配されたら20代の男性か。

上の写真は、妻が近所のケーキ屋さん「ポーレ」で買ってきてくれたバースデーケーキ。ケーキ屋さんが「のぶひろ」は子供だと思ったらしい。

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2008年3月13日 (木)

個人研究室を撤収した

風が暖かくて気が緩みそうである。私は冬よりも春が好きだが、どういうわけか毎年3月ごろの季節の変わり目に風邪を引く。例えば、去年は3月後半に39度7分の熱が出て寝込んだ。しかし、その後の一年を振り返るとおおむね調子がよくて、夏ばてと11月の軽い風邪以外は毎日元気に過ごした。そして今年は今の時期になっても体調を崩していない。

先日、確定申告のために一年間の医療費を計算したら、風邪と虫歯の治療の他には大した出費がなく、健康増進が妻の大好きな節約にちょっとだけ貢献していることが分かった。

失業してしまったが、たいした借金もなく、日々健康に過ごしている。無事これ名馬というべきか。

ところで昨日、個人研究室を撤収した。以前写真をお見せしたが、十分な広さがあって快適な部屋だった。任期終了後を含めて約5年間オフィスとして使わせていただいた。大学に感謝したい。愛着があったので少し寂しいのだが、その一方で少し身が軽くなったような気がする。今は何があっても塞翁が馬と思うしかない。

同じ階の大部屋に机を用意してもらったので、パソコンや文房具などの研究に最低限必要なものを一時的に置いておくことにした。今のところ4月以降のことは未定。今後の身の振り方は、目前の経済危機と長期的な展望との板ばさみになりそうだが、じっくりと考えたい。

大部屋に移ると外線につなげる電話がなくなるので、インターネットを使う無料電話のSkypeに登録してみた。オフィスではパソコンを常時インターネットに接続しているので、固定電話の役割を果たすと思われる。あらかじめ自宅のパソコンにもSkypeをインストールしておき、自宅にいる妻に電話で操作を指示して掛けてもらったら、問題なく大学のパソコンにつながった。電話より1秒程度声が届くのが遅れるが、電話とSkypeの受話器を同時に耳に当てていなければ気がつかない程度である。しばらく試しに使ってみるつもり。

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2008年3月10日 (月)

BESSYでの求職の結果と今後の予定

以前当ブログで報告したとおり、去年11月後半にベルリンの放射光施設であるBESSYに面接に行った。その採否について、きちんとした連絡が何もない。しかし、BESSYの人たちとのメールのやり取りで私の人事がうやむやになっていることが最近おぼろげに分かった。その背景には研究グループと事務方との間に軋轢があって、私の人事がそれに巻き込まれたようだ。

断片的で互いに矛盾する内容の文通しかないのではっきりしたことは分からないが、、研究所内でのコミュニケーションが滞りがちなこと、組織内の意思決定のプロセスが曖昧であることが理解できた。

BESSYの人たちとのメールの文通(返信すらよこさない人も含めて)を公表すれば、どのようにいい加減なのかを説明しやすい。しかしそれでは個人名を出してしまう(あるいは明らかにしてしまう)ことになるので、このブログではやりたくない。

付随的な話として、BESSYは来年にベルリン内の別の研究機関Hahn-Meitner Institute(HMI)と統合することが決まっており、このことが今回の人事に影響しているらしい、ということを聞いた。しかしこれは憶測にすぎず、真偽は不明。一応、BESSYとHMIの統合に関する報道記事へのリンクを下に貼っておく。

Science の記事(英語)http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/317/5841/1019c

Advancing the Chemical Sciences の記事(英語)http://www.rsc.org/chemistryworld/News/2007/August/17080701.asp

Study in Germany の記事(日本語)http://www.study-in-germany.de/japanese/10.10910.1.html

これらは去年8月に発表されたものである。ちなみに私がBESSYの研究者からBeamline Scientist の求人に応募することを勧められたのは9月末ごろのことである。

私が理解している現状は、研究グループで私を採用することを決めたが、それ以降の手続きが進んでいない、というもの。遠いドイツのことであるし、事情を問い合わせられる知り合いもいないので、打つ手がない。

私は採否に不満があるというよりは、きちんとした採否の連絡をよこさないどころか、こちらからの問い合わせにもろくに応じないことに困っている、というほうが正確だ。どのような事情があるにしても、あまりにもいい加減なBESSYの対応に驚いている。今後私から連絡を取らないつもりだ。これ以上時間を無駄にしたくないからである。このような所に決まらなくてよかったようにすら思える。

11月の面接以来、BESSYに仕事が決まる可能性が高いと思われたので、就職活動を控えてきた。そのため、日本では最も求人が多い時期に、3ヶ月以上を無駄に過ごしてしまったことになる。私にとってはひどい損失だ。かといって法的な手続きを取る(私も望まないですけどね)、という可能性はほとんどない。「雇用する」と書いたものがなければ訴えられないからである。というわけで、現在私にできることは、BESSYのことはさっぱりと忘れて、自分がこれからどうするかを考えることだ。

さしあたって問題は、4月からどうやって食べていくか、ということである。短期的には、今年度に引き続いて、非常勤講師を続けることが選択肢の一つ。しかし、非常にタイミングが悪いことに、来年度のカリキュラムと担当者はどこの大学でも12月か1月ごろには決まっていていて、この時期に空きを探すのは非常に難しい。しかし、多くの人たちのご好意で、若干の仕事を得られそうである。ただしこれだけでは生活に支障をきたす。以前、このブログで計算した支出には足りないので、すぐにできる仕事を他にも探さなくてはいけない。

長期的には今後もフルタイムの研究職の仕事を探し続けるつもりである。しかし、4月以降ある程度自由な時間が取れそうであり、このままずっと不安定な身分のままという可能性はゼロではないので、サイドビジネスを始めるとか、何か資格を取るということも検討している。

私にとって研究はライフワークなので、どのような状況になったとしても、やめてしまうことなど想像がつかない。だから、このブログのタイトル「健康的研究生活のすすめ」を当分変えるつもりはない。「研究」の話題が少ないのは、未発表データを公表するわけにはいかないとか、産学連携に関る守秘義務などの理由があって、もともとあまり書くことができないのである。ブログは進行中の研究について書くにはあまりよいメディアとは言えないようだ。このようなわけで、これからも日常生活の記事が多くなりそうである。ともあれ今後ともよろしく申し上げる。

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2007年12月 4日 (火)

帰ってきました

Bessy先週の後半にドイツから帰国した。まだ少し疲れが残っている。気がつけばすでに師走になっており、あれこれやらなければと焦るのだが、体が思うように動かずもどかしい。

ベルリンのBESSYでのセミナーでは、わりとうまく話すことができた。内容は立命館大学で行った研究の成果。質疑応答とセミナー後のコメントによると、けっこう評価は高かったように思う。ただし、採否が決まるのには、しばらく時間がかかるとのこと。

右上の写真はアルバート・アインシュタイン通りにあるBESSYの建物。もちろん施設を見せてもらったのだが、さすがに充実していた。

屋台のソーセージ、総菜屋さんのサンドイッチ、インビスというファーストフード店の肉のサンドイッチ、パン屋さんの菓子パンなどは、どれも大味だがおいしかった。昼食にはBESSY近所にあるフンボルト大学の学食に連れて行ってもらった。正直に言って味はまあまあだが、できたてで温かいので気に入った。私が入ったレストランは普通だった。プロテスタントの国の食べ物はおいしくないという先入観があったのだが、それほど心配ないと知って安心した。

往復にはフィンランド航空を利用した。行きは関空発、ヘルシンキ空港で乗り換えて、ベルリンのテーゲル空港に着。ほぼ一日がかりの旅。時差が8時間あり、早朝に家を出てその日の夜中にホテルに着く。

エコノミークラスであったが、フライトアテンダントは親切でサービスも申し分なかった。私は出されたものは体調が許す限り残さず食べるように心がけている。飛行機や船ではなおさらの事だ。しかし今回の機内食は往復とも完食できないばかりか腹をこわしてしまった。「参りました」という他ない。次回から飛行機に乗るときには弁当を持参したい。帰宅して貝新のしぐれで茶漬け。ゆず風呂に入ってさっぱりした。

ベルリンでは半日だけ市内観光をした。下は森鴎外の「舞姫」の舞台になったと言われているマリエン教会。後ろの細長いのはテレビ塔。

Marien_2

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2007年11月25日 (日)

明日出かけます

一昨日湯冷めして軽い風邪を引いてしまった。ほぼ回復したけれど用心して雪だるまのように着込んでます。明日からドイツ行き。向こうでの私のセミナーが掲示されていたのでリンクしておきます。

セミナーのアナウンス
(すでに新しいセミナーの情報に変わっています。12月4日)

場所はベルリンのAdlershofというテクノロジーパークにある、BESSYという放射光施設です。地図を探していたら偶然この掲示を見つけました。うまく話せたらいいなと思っています。インターネットでチェックしたところ、今日のベルリンの天気は晴れ。最高気温5℃、最低気温が0℃となっていて少し寒そう。

関係ないですが、下は石山寺の紅葉。

Ishiyama

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2007年11月14日 (水)

面接の予定

応募先から連絡があって、今月後半に面接に来るようにとのこと。ドイツの研究機関である。人事のことなので詳しく言えないが、一つのチャンスであることは確かだ。普段の生活が急に緊迫感を帯びてきた。

航空券を予約したり、円をユーロに両替したり、電源用変圧器や新しい服を買ったりといった旅行の準備でバタバタしている。妻が買ってきた「地球の歩き方」をみると行き先が思ったよりずっと寒いことがわかった。とはいえイギリスを除くとヨーロッパを訪ねるのが初めてなので楽しみ。

この機会なので、思い切って電子辞書を買った。カシオのEX-word XD-SW9400という機種で独和と和独辞書のバンドル版。大学生協で34,800円だった。紙の辞書のほうが便利で確実だと思っていたが、実際に電子辞書を使ってみると意外と操作性がよい。慣れると手放せなくなりそうだ。よい買い物をしたと思う。

全然関係ないが下の写真は越前海岸の夕日。年に一度の贅沢でカニを食べに行ったときのもの。

Echi2

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2007年9月 9日 (日)

あと3週間

気がつけば、すでに9月である。今月末で仕事の契約が終了。そしてまだ次の職は決まっていない。少し焦ってはいるが、こうしてブログを書いていられる程度には気持ちの余裕がある。

後期から応用化学科で非常勤講師をすることにした。科目は2回生対象の物理化学の学生実験で週2回。学内の先生方のご好意で、急遽入れていただいたのである。この収入で当座をしのぐつもりだ。

「非常勤講師」を簡単に説明すると、正規に大学に雇われるのではなく、時間給で給料をもらう教員である。私はこれまでに、大学院生時代と立命館大に来る前の一時期に経験したのだが、よいアルバイトであった。

研究環境や将来の保障といったことを考えると専業の非常勤はそれほど割のいい身分ではない。(「大学非常勤講師の実態と声」というホームページがあるのを最近友人から聞いた。詳しく知りたい方はどうぞ。)しかし次が見つかるまでの一時的なものと考えれば大変ありがたいのである。

この先どうなるかわからない、という状況は心地よいものではない。しかしより自分に合った仕事を見つけるチャンスであると考えて、前向きにとらえたい。

下の写真は私の個人研究室の机。引き払う準備をしているのだが、その前に一枚撮っておいた。

Office1_2

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